“第12巻”では、とうとう官軍が会津領に侵入してしまい、順次城下に迫ろうとする中での会津の抵抗の様子が描かれる。飯盛山で白虎隊の19名が自決してしまう挿話もこの巻で登場する…
本作の主人公の兵馬だが、“第12巻”では最初の方と最後の方で登場している。官軍の領内侵攻が確実視される情勢下、国境の防備が固められた。母成峠方面には大鳥圭介が指揮官として配置された。兵馬は大鳥は高名ながらも、関東の戦いで必ずしも芳しい実績が多い訳でもないことに不満を表明するなどしていた…彼も越後方面での負傷から回復していた…兵馬は“鬼官兵衛”こと佐川官兵衛の指揮下に入り、国の危機を憂えて参集した義勇兵の指揮を任せられるなどし戦った…
大鳥の防衛布陣は薩摩勢や土佐勢によって裏をかかれた…兵力を分散せず、一気に一箇所から領内に侵入し、更に「よもや…」と思っていた崖を、地元の村人を強引に案内役にして無理矢理に攀じ登って襲撃するなどの奇策も用いた…そして防衛線として頼みにしていた猪苗代までもアッサリと抜かれてしまい、官軍は城下へ通じる頑丈な石橋、十六橋へ迫る。
この間、城内では重臣の会議が催される。白河の指揮官を更迭され、謹慎していた西郷頼母にも召集がかかる…ここに至って、何とか和平を目指すという論もあったが、西郷が吼えた…手遅れであると…
兵馬は佐川の指揮下で十六橋周辺の戦闘に加わっていた。ここには白虎隊も出て来ていた…やや位置が悪い辺りで、白虎隊は塹壕を築いて待機していた。隊長が、どうしたものか白虎隊を現場に置いたまま持ち場を離れてしまった。様子を見に出た副官も、戦闘に巻き込まれてしまった。白虎隊は、仲間の中で信頼されていた篠田が指揮を執り、自主的に戦闘に加わった…そして苦戦を強いられて仲間達の多くが倒れてしまった…残った者が必死に撤退する…
十六橋には官軍の兵力がどんどん集結してきた…会津側は支えきれない…兵馬の居る佐川の隊は城下目前の滝沢まで撤退しながら必死に戦い続ける。そして佐川は兵馬に「少し先の本陣に居る会津老公(容保侯は世継の喜徳侯に地位を譲っていたので“老公”ということになった…)を城へ帰す」伝令となるように命じた。共に戦い続けたかった兵馬が、想いを振り切って賭け付けた本陣で見たのは、会津に亡命してきていた桑名侯(尾張の分家から、尾張、会津、桑名に兄弟達が養子に入って各々の家を継いでいた。この時点で尾張侯は官軍側だった…会津老公と桑名侯は京都で各々“守護職”、“所司代”として連携行動をしていた時期があった。兄弟であると同時に、僚友、同志であった…)に「米沢へ向かえ…」と告げ、「自分が陣頭に!」と騎乗して進もうとしながらも、周囲に押し留められて城へ引揚げるという様子だった…兵馬自身も城下に撤退した…
佐川は滝沢で討死を覚悟するが、参謀役ということで同行していた秋月悌次郎(「会津の秋月」と言えば、各地の家中にも聞こえた、なかなかの学者であり、“公用方”として京都守護職の外交を担った人物であった…彼に関しては『落花は枝に還らずとも』という小説があって、それが非常に面白い!!)が「篭城になった場面で、佐川殿の力が必ず必要になる。犬死は止めなさい…」という主旨で諭し、結局佐川の隊の残兵は撤退した…官軍はどんどん城下に迫り、城下も混乱していた中、篭城態勢になっていた…
というような流れである…会津の戦いの経過そのものは、実は“第12巻”を通じてそれ程進展していない…この“第12巻”だが、紙幅の半分程度が「飯盛山に散った白虎隊の少年達」を紹介する内容で埋められている。恐らくは近親者の話しが子孫に伝わっていて、それを取材したり、“隙間”に関しては作者の想像力で綴られたのであろう。どんどんその部分を読み進める中、何か熱いものが込上げてきた…
会津では家中の子弟教育については、かなり熱心であった…日新館という、現代風に言うなら「小学校から大学までの一貫した総合学園」を持っていて、家中の子弟は必ずそこに入学して、熱心に勉学や武芸に励んでいた…会津で“四神”の名を冠した各隊を編成した時、各隊の隊員資格を年齢別ということにした。白虎隊は16歳から18歳の少年が隊員ということになった。一部には15歳の者も入り込んだようだが…ということで、白虎隊の隊員は、悉くが「学徒出陣」だったのである…
「学徒出陣」の白虎隊に関して、当初は後方支援的業務や、城での要人警備の補助というようなことで人手が必要になった場合に活用するという構想だったようだが、一部が越後方面で前線に出ていた。そしていよいよ城下に敵が迫る情勢の中、白虎隊は出動し、前線に出ることになってしまったのだ…
この“第12巻”では、殊に飯盛山で自決した面々の“プロフィール”が随分詳しく語られている。それぞれ学問に優れていたり、武芸に秀でていたり、難儀した人を迷わず助ける勇敢さを見せたり、沈着な行動で周囲を感心させたりと、日新館の教育の成果か、素晴らしい少年達だった…また、彼らが肝試しをしていたり、姉や母親に可愛がられていたりというような様子も多出している…そういう時代が変わっても何ら変わらない少年らしさもある…そういうことがかなり多く綴られた後、碌に準備もしないで前線に出て行き、疲労困憊な状況に陥りながら戦い、必死に辿り着いた飯盛山で城下の炎上する様を観た彼らが自刃する様が…多少ショックでさえある…
実は飯盛山を訪ねてみた経過もある…(※)白虎隊の墓所を見て、彼らが眺めた頃とは様変わりもしているであろうが、城も山から眺めてみて、資料館にも足を運んだ…そして、たまたま居合わせた地元の高校生の一団を見掛けて、「遠慮なく、今やりたいことに打ち込みながら、未来を夢見る若者が生きている」という、普段は思いも至らないような“当り前”が「実に素晴らしい!!」等と考えながら、“第12巻”を読んで判ったことながら、戊辰戦争時代は神社周辺の森で、会津側の兵と官軍の兵の戦闘もあったらしい辺りを歩いていた…
あの飯盛山の資料館で多少ショックを受けた話しがある。資料館に自刃した白虎隊の少年達の肖像画が飾られていた。そこには、「親類の人達の容貌を参考に制作したもの」と注釈があったのだ…結局、少年達は「少し後に普及する写真を残すまで生きられず、何かで成功者になって、誰かが肖像画を描くようになるまで生きられなかった」という事実を、何よりも雄弁に語る注釈である…
この白虎隊の物語は、自刃した20人の中、1人がたまたま近くに来た人に助けられたということで、後世に伝えられることとなった…その生き残った飯沼貞吉に関することも、“第12巻”では詳しく綴られている…
長岡の河井が死を迎えるまでが詳しく描かれた“第11巻”を読み、「戦争で損なわれる最大のものが“人材”である」というようなことを感じたが、この“第12巻”ではそういう思いが益々強まるのを禁じ得ない…
この後は…いよいよ大河小説の最後の一冊である“第13巻”だ…
※飯盛山を訪ねた経過は下記を御参照願いたい…
http://wakkanai.269g.net/article/13772878.html
http://wakkanai.269g.net/article/13773157.html





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