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2009年02月21日

続 会津士魂〈8〉甦る山河  早乙女貢 (集英社文庫)

13+8で全21巻の『会津士魂』…いよいよ最終巻である。この“第8巻”の末尾に作者自身の後書があるのだが、昭和の最後に正編13巻が完成し、平成の世に書き継がれた続編は20世紀の最後の年に完成している。20世紀最後の30年間を費やして作者が綴り続けたもののフィナーレ…何か感慨深い…

“第8巻”…これは士族反乱が相次いだ時代の話しである。永岡の企ては事前に発覚してしまい、弾圧されてしまった…各地の反乱も鎮圧されてしまう…薩摩の西郷の反乱…「薩摩を討つ」ということで、警察隊に会津家中縁の者達が続々と応募し、出陣する…その中で家中縁の者達の求心力となっていたのが“鬼官兵衛”こと佐川で、彼は薩摩の反乱軍との戦いの中、会津での最後の戦いの日々に仲間達が号していたものと同じく“抜刀隊”と称する突撃志願者の隊を組んで勇戦し、討死してしまった…この外、軍人、教育者として活躍する山川浩や、京都で活躍する山本覚馬と妹の八重子のことなど、家中に縁の人達の消息にも触れられている…

「一編の物語」としてこの大河小説を愉しんできた私としては、主人公の兵馬と家族、更に敵の新蔵が気になる…兵馬の妹は、横浜で働いていた時に新蔵に会い、東京に移った。東京で山県の部下だった商人を強請ろうとしていた新蔵だったが、山県が商人を追い詰めて自殺させて事件を揉み消したために思惑が外れていた。そんな時に兵馬の妹と再会するが、彼女は新蔵が持っていた短剣で彼を刺してしまう…そのまま彼女は会津若松に帰った…会津若松では老いた両親と、元気になった弟が居て、一緒に暮らした…(刺された新蔵がどうなったのかは不明なまま…)兵馬は永岡の動きに加わっていたが、永岡が弾圧されてまた逃亡している。西南戦争の際、兵馬は変名して警察隊に参加する。警察隊に居た、永岡を密告した男を倒すことが目的で、彼はそれを果たして姿を消した…そして会津若松へ帰郷する…

この辺りまで来ると、強いられてしまった苦難への憤懣という色合いよりも、時間は掛かったものの、苦難を乗り越えてそれなりに活躍するようになっていた会津家中縁の人達への賛辞、そしてそういう人達の胸中に常にあった郷土や身近な人々への愛、というような色合いが濃くなっているように感じる…

会津の武士達が子弟教育に熱心で、当時尊ばれた価値観を大切に生き続け、幕末の混乱の中で「馬鹿を見た正直者」ということになり、汚名を負って迫害も受けたが、それでもそれを乗り越えてきている。そんな様を描き続けた壮大な物語『会津士魂』…素晴らしい作品に出会えたと思う。


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続 会津士魂〈7〉会津抜刀隊  早乙女貢 (集英社文庫)

いよいよ“第7巻”ともなれば、“文明開化”の時代の中で生きる劇中人物達の様子が描かれるようになる。

この“続”になってから、本作には横浜がよく出て来る。確か作者は中国大陸から引揚げて来た後、横浜辺りに住んでいたと聞く。そういう意味での愛着のようなものもあるものと勝手に想像するが、他方、横浜は“開港”間では文字どおり“寒村”に過ぎず、そんな状態から幕末に色々と事件が起こる開港地の街並みが登場し、明治期には重要な港を擁する都会に育っていく。変転激しい時代の象徴のような土地ということになると思われるが、本作の劇中人物達がそういう中に登場するのはなかなか似合うのかもしれない。

“第7巻”では新橋・横浜の鉄道も開通するような頃、依然として逃亡する主人公の兵馬や、才幹を認められて横浜のガス灯建設の会社で仕事を得たりしながらも、会津での民政局幹部暗殺の件でしつこく追われ続けている男の件、反政府の情念を燃やす永岡の件が出て来る。そして、政府の山県が元部下の承認と組んで行った公金流用の話しがあり、あの新蔵がそれを知って強請りを働こうと企てる…

“第7巻”には長州などでの士族反乱の兆しが見え隠れし始め、永岡はそうした動きとの連携を画策する…

というようなことで、かなり先を急ぎながら読了してしまった…


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2009年02月17日

続 会津士魂〈6〉反逆への序曲  早乙女貢 (集英社文庫)

“第6巻”には下記のような記述がある…

**********

歴史は常に勝者によって恣意的に書き改められ、真実は抹殺されるが、いつかは、その欺瞞のベールが剥がれて、真実が明るみに出よう。
だが、それはいつのことか。十年や二十年では望めない。五十年や百年でもどうかわからない。
勝者といっても、五十年も経てば、寿命からして、誰もが消え去るだろうが、都合よく改築された歴史の壁は、年月とともに、堅く、厚くなってゆくのである。真実を語る商人もまた消えてゆくのだ。
そして何よりも、勝者の築いた欺瞞の歴史を心地よしとする世代が続いてくるのである。

**********

私はこの記述に触れて思ったのだが、『会津士魂』の正・続の全21巻が綴られた際の「作者の心情」が全てここに凝縮されているのではないだろうか?要約すれば「所謂“明治維新”ということで数世代に亘って伝えられてきていることに異議がある!!」ということなのだろうが、その想いの熱さが全21巻に滾っている…

“第6巻”だが、悲劇の自刃を遂げた白虎隊士中二番隊の隊員を弟に持っている日下義雄こと石田五助が渡米の機会を掴んだ話し…米国の“ワカマツ・コロニー”の顛末…米国で客死してしまったおけい…警察官ということになる“邏卒”に応募しようとする者も現れたという話し…などが綴られている。それぞれに引き込まれるものがある…

“第6巻”には兵馬と妹も登場する。兵馬は“贋札”の一件で東京に逃れてきている…他方、妹は横浜の料亭で働いている…と、ここにあの新蔵が久々に登場する!!横浜で何やら怪しげな活動をしており、妹の前に現れるのだ…「様々な物語の集成」の様相を呈した作品を「一編の物語」として繋ぐ部分が出て来た!!

こういう按配になると、続く“第7巻”が益々楽しみになってしまう…


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続 会津士魂〈5〉開牧に賭ける  早乙女貢 (集英社文庫)

このところの当地は、雪が随分と降り、風が強くなって地吹雪になることも少なくない。こういう状況は衣食住が足りていようとも、やや辛いことは否定出来ない…

不意にこんなことを思い浮かべたのは“第5巻”を読んだからに他ならない。その主な内容は、耕作不適地で長く開拓もされないままであった地域で、冬季には雪も降れば、冷たい海を渡る冷え切った風が吹き抜ける斗南の物語なのだ…

“第5巻”の冒頭辺りでは、“贋札”の一件で関係者が処刑されてしまい、関与した者が姿を消す辺りの話しが綴られているが、以降は「会津家中の様々な人達の物語」ということになる。冬季に至っても履物さえない困窮の中から、青森県の最高幹部の書生になり、やがて東京に出て勉学に励むこととなる柴五郎少年…英国人を雇って斗南の夢が破れた地で牧場を興そうと奮戦する広沢安任…秋月悌次郎に導かれ、長州の奥平に身を寄せ、その後米国留学へ旅立つ山川健次郎…というような人達のことが主に語られる…

この“第5巻”には主人公の兵馬とその家族などは出て来ない…会津家中の人達が「“斗南”以降の時代にどうやって生きようとしたか」という話しになっている。

何かこの辺りに来ると、会津家中の群像を描いた「一編の物語」と言うよりも、「様々な物語の集成」という趣になってくる…

“第5巻”の中では広沢安任の話しを大変興味深く読んだ。彼は幕末期には“公用方”として京都で活躍しているのだが、一部“続”以前と被るものの、その活躍が振り返られ、然る後に斗南の首脳として夢破れた後に「この地に産業を興す!!」という強い想いを湧き上がらせるようになり、英国人を雇って牧場を興すに至るのだ。牧場を興す苦労の話しは、“郷土史”ということで聞いたり読んだりする機会も在った「北海道開拓の歩み」を思い起こさせるものがあり、何か興味沸く内容だった。

この広沢の所へ永岡久茂が現れる。永岡も広沢と共に斗南の首脳陣の一画を担っていた。彼は“反政府運動”を起こそうとしている…他方、広沢は牧場に命懸けである…この2人の“平行線”のような心のぶつかりあい…“第5巻”の“読みどころ”のような気がした。

何か“続”に入ってからというもの、読むペースが上がっている…


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2009年02月15日

続 会津士魂〈4〉不毛の大地  早乙女貢 (集英社文庫)

“第3巻”で物語が動き始め、気になってきた“第4巻”以降を入手した。休日を利用し、“第4巻”を勢い良く読了してしまった…

“続”以前の部分では、史料引用がかなり混ざり、“地の文”が非常に目立ったのだが、この“第4巻”は“小説的表現”で綴られた部分が非常に多く、他方で余り広く知られていないかもしれない“斗南”の物語が確りと伝わる。『会津士魂』は大変高く評価されて賞を受けた経過があるそうだが、ある意味ではこの“続”の“第3巻”から起こされる「斗南の物語」はその“受賞作”よりも読み応えがあるかもしれない。

会津家中は、未だ乳幼児に過ぎない会津老公の実子を主君に戴き“斗南藩”を下北半島に興すこととなる。“田名部通”などと総称された下北半島は長く南部領ではあったが、耕作不適地で厳しい寒冷地でもあったため、永く荒野も同然であった。ここに海路や陸路で1万7千人からの会津家中の武士、家族、城下の人達が移り住み、困難な開拓に挑む運びとなった。大変な苦難に見舞われ、必死になって努力をしたが、“廃藩置県”の制度変更で“斗南”の地は青森県に編入される話しになっていき、会津家中の人達はそれぞれの道を歩むことになっていく。

この“第4巻”では主人公の兵馬の動きが随分と出て来る。兵馬の一家は失明して身体の弱った父、病気がちになってしまった母と弟、そして妹で“斗南”へと移住する。兵馬は家中の人達の困窮を救うために“贋札”に関与してしまう。斗南への移住に際して、路銀にも事欠く有様であったが、その“贋札”で何とか凌ぐ…斗南でも兵馬の苦労は絶えない。そんな中、一部の仲間が“贋札”の印刷を未だ続けていて、早く止めるべきだと仲間を諭そうとする。ところが、“娘”をカタに高利で金を貸す悪漢が領内に暗躍しているのを見聞するに及び、兵馬はそうした困窮者を救うべく“贋札”にまた関与し、函館で換金に奔走する。函館では渡米して“ワカマツ・コロニー”を興すことを夢見たものの、夢破れて帰国した人達と思わぬ再会を果たす。やがて兵馬は“贋札”関係者捕縛の動きがあることを知らされて出奔するが、仲間達は捕縛されてしまう。

“第4巻”では、兵馬が斗南への道中で仙台に寄った折り、あの“からす組”の細谷十太夫に再会する話しが出て来る。十太夫は僧侶となって小さな寺に住み、勇戦した同志達の菩提を弔う毎日だった。やや遅めな時間帯に兵馬が寺を訪ね、明け方近くまで酒を酌み交わしながら語り合う場面なのだが「あの痛快な活躍を見せた十太夫はこんな按配に…」と妙にしみじみとしながら読んだ…

というようなことだが、“斗南藩”は地勢や産業の知識が豊富な人材を欠いたまま苦闘し、時代の変転の中で「幻」のような存在になってしまったが、今でも下北半島等には会津家中に縁の人達の後裔が多く住んでいるという…この辺の話しは、意外に興味深く拝読している“巻末エッセイ”にあった。この巻では、斗南の地にある青森県むつ市の、出版当時の市長が綴ったものが載っている。

斗南の件で、政府への不満を募らせる人達も多いと見受けられる中、どういう按配になっていくのか、この後の展開にも注目したい…また、出奔した兵馬がどうなるのかも気になる…会津若松の酒でも頂きながら、続きを存分に愉しみたい…


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2009年02月11日

続 会津士魂〈3〉斗南への道 早乙女貢 (集英社文庫)

“第3巻”は休日返上で動いた後に思わぬ天恵のように訪れた祝日に愉しく読了することとなった。

“第1巻”の終盤辺り、“第2巻”の全部で箱館の戦いが描かれたが、この“第3巻”の前半三分の一程度でその戦いが終わる。何か、箱館の戦い関係で“独立作品”になりそうな位である…

箱館の戦いは、死に場所を求めるように勇戦した将士の壮絶な最期、そして新しい時代での生き残りを模索したような人達の姿が対比されて終わる。作者の筆は、後者には辛辣である…あの新撰組の土方歳三も敵中に単騎で繰り込んで凄絶な討死をしてしまった…

この箱館の顛末の後、会津家中の物語は動き始める…

主人公の兵馬は越後高田から脱走をする。そして会津若松に密かに戻った。越後高田で受取った便りで、母親は老いて弱り、目が不自由になってしまっている父親は城下を占領していた兵達に暴力を振るわれるなどして益々弱り、妹が苦慮していることが判ったため、兵馬は「何とかしたい」という強い想いに動かされたのだった。

城下に戻ってみると、兵馬は家中の仲間達と出くわした。仲間達は“牢破り”をして、不当に逮捕拘禁されている者達を助けるのだという。兵馬は沸けも判らず加勢した。そして城下の情勢が語られる。戦死者や戦災で命を落とした人達の遺体を普通に埋葬することが許されないなどの異常な状態が続き、城下に残ることを許された家中の者達が大変な苦労をしていた。そして圧政が敷かれていた。ここに四条卿が若松県知事に就任すべくやって来るのだが、彼の前任ということになる民政局の者が離任する際、兵馬と仲間達は彼を斬ってしまった。

他方、会津老公の側室が男子を出産した。会津家中はこの男子を後継者とし、家名再興が許される。そして陸奥半島に斗南藩を起こすこととなる。これが新たな苦難の道ということになる。家中の関係者を中心に多数の人達が旅立つが、当初から希望に満ちたものではなく、この巻の最後では不安に苛まれた老女が船から海へ身投げしてしまうという、些かショッキングな場面で終わる…

この“第3巻”で描かれている“戦後”の城下の様子だが、多分詳しい史料が少ない話しなのだと思う。作者も随分苦心したのではないかと想像する…

この『会津士魂』シリーズの文庫本には、“巻末エッセイ”と称して角界の人達が一文を寄せている。“第3巻”には初版刊行時の会津若松市長が一文を寄せている。「ゆかりの地ネットワーク」というような話しが紹介されていて面白かった。

ここに来て“斗南”の話しが出て来る。現在のむつ市の基礎となっている田名部、大湊に会津家中が移り住む。過酷な運命が待っているらしいが…続きが気になる…


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続 会津士魂〈2〉幻の共和国 早乙女貢 (集英社文庫)

“第2巻”は凄い勢いで読み進んだ…これは箱館五稜郭に拠った榎本政権の戦いの推移が活写されているのだ!

箱館に拠った榎本政権の軍は、松前家中―左幕的な立場の人達が官軍寄りの人達に粛清されてしまっていて、榎本達が蝦夷地に入った途端に敵対していた…―を駆逐して基盤を築こうとしていた。他方、頼みの艦隊が座礁事故等で次々に損なわれるなど、苦しい状況になってきた。殊に“開陽”が損なわれたことが大きかった。そうした中、官軍の艦隊が北上を図る。敵の旗艦は幕府が米国に発注してあったものが捕られてしまった“甲鉄”である。この“甲鉄”の奪取を図った榎本軍は、宮古湾に停泊中の艦隊に奇襲を掛け、果敢に戦った。しかし目的は果たせず、戦局は益々苦しくなっていく。

というような話しが実に詳しく描写されている。勇戦した将士の、戦いに賭ける意気込みが凄まじい…圧倒されながら、気付けばこの巻が終わってしまった…

この巻に兵馬は登場しない…

箱館の戦いに関しては、例えば「五稜郭に拠って抵抗した旧幕臣らの勢力が一掃され、戊辰戦争は終結した」というような、余りにもサラッとした簡単な表現で語られる場面が多いような気がするが、この“第2巻”を読むと非常に深遠なドラマが在ったことがよく判る。“発見”をもたらしてくれるような一冊である。


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続 会津士魂〈1〉艦隊蝦夷へ 早乙女貢 (集英社文庫)

『会津士魂』については「“13巻”ではなく、“21巻”である」という見方もあるように想う。“13巻”は鶴ヶ城に白旗が掲げられ、1ヶ月に及んだ篭城が終わった場面で幕引きとなっている。が“戊辰戦争”は会津で完全に終わった訳でもなく、また会津家中の人達のその後の物語もある…ということで、“続”が世に問われた。“続”は、どうも当初から作者の構想にあったらしく、『会津士魂』の雑誌連載が終了した後、然程間隔を置かずに登場したようだ…

私は会津若松を訪ねたことを切っ掛けに、この『会津士魂』と巡り会ってしまい、“13巻”を読了したのだが、白旗を掲げた後の話しが気になっていた。会津若松の酒に関心を寄せる切っ掛けになった醸造メーカーが鶴ヶ城の近くにあり、降伏文書調印のセレモニーが催された場所の辺りであることを伝えるパネルが通行人に見えるように飾られていた。そのセレモニーの様子等の描写が“13巻”には無かった…

ということで“続”を気に掛けていたのだが、先日札幌に出た折り、北上する列車に乗る前に寄ってみた昨年12月に開店したばかりの大通側に在る大型書店を覗いてみると、「あなたが気に掛けているのはこれですよ…」とばかりに書店に棚にこの“続”の1から3が待っていた。迷わず入手し、北上する列車の車中、帰宅後と凄い勢いで読み進んで1冊ずつ読了していった。

“第1巻”は「白旗の後」という話しである。降伏後、例のセレモニーがあって、家中の人達の多くは“謹慎”として各地に送られた。会津侯父子の助命のため、残っていた家老格の中で上席に在った萱野権兵衛が切腹することとなった。他方、榎本艦隊が箱館に入り、独立政権を築こうとする動きがある。

というような展開だが、面白いのは榎本艦隊の箱館行きに、幕府が雇っていたフランス軍人が脱走して参加する辺りのことに紙幅が割かれている辺りである。

本作の主人公である兵馬である。確り出て来る。会津家中の人達は暫定的な“謹慎”の後、各地に移されるが、その一つが越後高田であり、兵馬はそこに居たのだ。

或いは「鶴ヶ城が陥落するまで」はある程度広く知られているが、「その後」はそれ程広く知られている訳でもない。この“続”はそういう「余り知られていない話し」に触れられる、なかなか貴重な作品のように想う。


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2009年02月01日

『会津士魂』の世界に触れる「敷居が低い」方法について…

小説『会津士魂』の全13巻を読み、「そう言えばあった…」と思い出して、入手して下記のDVDを観てしまった…



白虎隊 [DVD]


朝から会津若松の酒などを多少頂き、午前中で前半を、午後には後半を観た…

何か、『会津士魂』のお話しをテレビドラマとして見易いように整理して創った脚本のような感じさえした…前半は戦争が始まってしまうまでの、京都での騒乱が描かれている。後半は白虎隊の自決や、薙刀を手に戦った“娘子軍”の話しなど、会津城下の戦いが描かれる…

全13巻の大河小説は敷居が高いかもしれないが、2時間半程度の番組枠で二晩に亘って放映されたテレビドラマを収めた2枚組DVDを観るということであれば、それ程敷居も高くはないと思われる。多少旧いドラマだが、今日観ても興味深く観ることが出来る作品であると思う。

ドラマは1986年のものであるという…20年以上も前の作品なので、最近も見掛ける俳優が非常に若かったり、他界した方も多く含まれているのだが…

このドラマは確か“年末時代劇”等と称し、一生懸命宣伝をしながら何年間か放映していたものの一つだったと記憶している。近年はこういうのが非常に少なくなっているような気がして、やや残念でもある…
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2009年01月31日

会津士魂〈13〉鶴ヶ城落つ 早乙女貢 (集英社文庫)

「敷居が高い…」等と感じながら紐解き始めた全13巻の大河小説『会津士魂』だが、終に最後の“第13巻”を読了した…ここは会津若松から取寄せた酒でもグラスに注いで、ささやかな“達成”を祝いたいような気がする…

“第13巻”は、官軍が城下に侵入してしまった中で繰り広げられた会津側の抗戦、城下の混乱や、相次いだ悲劇的な自決の様などが描かれる…最後は鶴ヶ城に白旗が掲げられた場面で終わる…

“第13巻”は非常に重苦しい…城下に敵が迫り、大混乱が発生し、「最早これまで…」という悲惨な話しに満ちている…必死の抗戦で散る老人達…身体が不自由なことを気に病んで自決をする人達…「辱めを受けるよりは」と幼子を手に掛けて自決する女性達…悲惨な状況だ…城下への侵攻が開始されたのは8月23日というが、この“第13巻”の相当な部分は「8月23日の記」とでもいうような“ドキュメント調”と言ってよいであろう…

こういうトーンの“第13巻”だけに、南会津方面から引揚げて来た山川大蔵の部隊が、途中の村々で掻き集めた“彼岸獅子”(会津地方で、春に豊作祈願の意味で行われる獅子舞…)の衣装を着込み、薄暮の城下で獅子舞の囃子を鳴らしながら進むという奇策で無事に城に入るというような挿話は、読んでいて何か凄く嬉しくなってしまったりする…

会津領は山々に抱かれた土地で、他の地域との間は峠道で結ばれている。という訳で、会津家中では各主要経路について、方面指揮官を任命して兵力を配置していた。が、官軍側は部内での“先陣争い”のお蔭もあって、最初の大勢力が一点突破で領内に入ってしまった。各方面に点在していた将士は、孤立する城下を遠巻きに苦慮する羽目になり、やがて攻め手の兵力も徐々に膨らみ、攻撃の手も強化される…

こういう中での苦しい篭城が約1ヶ月…最後は米沢の援軍を頼りにしたが、米沢も降伏に至ってしまい、領内に出て来た米沢勢を介して交渉し、降伏ということになってしまった…

主人公の兵馬と家族である…兵馬の家族は、合図の鐘で素早く入城を果たし、篭城に加わった…兵馬は城下で繰り広げられた抗戦に参加し、必死に戦った。最後は、抗戦部隊に混じっていた、後に“娘子隊”として伝えられるようになった女性達を城へ連れて行くように現場の指揮にあたっていた家老に頼まれていて、そこで出て来なくなってしまう。この女性達の中には兵馬の妹と親しい者も在り、城内で妹が再会を喜ぶという描写は出て来る…戦いの後、兵馬はどうなったのか?続編には出て来るのか?気になる…気になると言えば、あの敵の新蔵だが…とうとう出て来なかった…何処でどうしているものか?

何か本作は“ドラマ”という面を有しながらも、多分にドキュメント的な雰囲気を持った作品だった。結局、作者は「ドラマを綴る」という“作家の役目”以上に「会津のことを伝え、“教科書”に些かの異議を申し立て、明治維新や近代というものを問う」という想い…“会津武士の後裔たる者としての役目”を頁が進む毎により強く意識するようになっていて、こういう作品が登場したのかもしれない…

詳しく、巧く理由を述べることが出来ないのがもどかしいのだが、現代は「価値観が揺れる時代」のような気がしている…こういう時代であるからこそ、過去にあって「そういう時代であった筈」と想われる“幕末・維新”に題材を求めたような作品に触れると、「何か強く感じるもの」を見出せるのかもしれない。この『会津士魂』の会津侯以下の家中の人達の多くは、当時の武士が尊んだ“義”を飽くまでも貫こうとしていた。或いは「価値観が揺れる時代」故に、その“義”が「不当な嘲りを受ける」かのような羽目になったのかもしれない…そしてそれが、やや俗な表現になるが「最後に馬鹿を見た正直者」のような印象を与えるのだが…

他方、作中で描かれる「当時の武士が尊んだ」または「武士なれば尊ぶべし」とされたものを貫こうとした人達の姿に触れ、「自らの知識や見聞を広げ、事の理非を判断する力を高める」ことで「価値観が揺れる時代」の中で、“正々堂々”としていなければならない…或いはそうありたい、というようなことを感じた…

暫くは会津若松から取寄せた酒でも頂いて『会津士魂』の余韻に浸りたいような気もするが、作品に触れてやや知識が広がったことにより、“会津再訪”の想いも膨らむのが実感出来る…


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2009年01月30日

会津士魂〈12〉白虎隊の悲歌 早乙女貢 (集英社文庫)

この一週間程の間、当地ではプラス6℃からマイナス9℃というような範囲で気温が乱高下し、なかなか過ごし悪い状態に陥っているが、私の“日課”は変わらない…『会津士魂』を読み継ぎ、一冊読了しては会津若松から取寄せた酒などを頂いてホッとするというような按配である。全13巻の中、“第12巻”に至ってしまった…

“第12巻”では、とうとう官軍が会津領に侵入してしまい、順次城下に迫ろうとする中での会津の抵抗の様子が描かれる。飯盛山で白虎隊の19名が自決してしまう挿話もこの巻で登場する…

本作の主人公の兵馬だが、“第12巻”では最初の方と最後の方で登場している。官軍の領内侵攻が確実視される情勢下、国境の防備が固められた。母成峠方面には大鳥圭介が指揮官として配置された。兵馬は大鳥は高名ながらも、関東の戦いで必ずしも芳しい実績が多い訳でもないことに不満を表明するなどしていた…彼も越後方面での負傷から回復していた…兵馬は“鬼官兵衛”こと佐川官兵衛の指揮下に入り、国の危機を憂えて参集した義勇兵の指揮を任せられるなどし戦った…

大鳥の防衛布陣は薩摩勢や土佐勢によって裏をかかれた…兵力を分散せず、一気に一箇所から領内に侵入し、更に「よもや…」と思っていた崖を、地元の村人を強引に案内役にして無理矢理に攀じ登って襲撃するなどの奇策も用いた…そして防衛線として頼みにしていた猪苗代までもアッサリと抜かれてしまい、官軍は城下へ通じる頑丈な石橋、十六橋へ迫る。

この間、城内では重臣の会議が催される。白河の指揮官を更迭され、謹慎していた西郷頼母にも召集がかかる…ここに至って、何とか和平を目指すという論もあったが、西郷が吼えた…手遅れであると…

兵馬は佐川の指揮下で十六橋周辺の戦闘に加わっていた。ここには白虎隊も出て来ていた…やや位置が悪い辺りで、白虎隊は塹壕を築いて待機していた。隊長が、どうしたものか白虎隊を現場に置いたまま持ち場を離れてしまった。様子を見に出た副官も、戦闘に巻き込まれてしまった。白虎隊は、仲間の中で信頼されていた篠田が指揮を執り、自主的に戦闘に加わった…そして苦戦を強いられて仲間達の多くが倒れてしまった…残った者が必死に撤退する…

十六橋には官軍の兵力がどんどん集結してきた…会津側は支えきれない…兵馬の居る佐川の隊は城下目前の滝沢まで撤退しながら必死に戦い続ける。そして佐川は兵馬に「少し先の本陣に居る会津老公(容保侯は世継の喜徳侯に地位を譲っていたので“老公”ということになった…)を城へ帰す」伝令となるように命じた。共に戦い続けたかった兵馬が、想いを振り切って賭け付けた本陣で見たのは、会津に亡命してきていた桑名侯(尾張の分家から、尾張、会津、桑名に兄弟達が養子に入って各々の家を継いでいた。この時点で尾張侯は官軍側だった…会津老公と桑名侯は京都で各々“守護職”、“所司代”として連携行動をしていた時期があった。兄弟であると同時に、僚友、同志であった…)に「米沢へ向かえ…」と告げ、「自分が陣頭に!」と騎乗して進もうとしながらも、周囲に押し留められて城へ引揚げるという様子だった…兵馬自身も城下に撤退した…

佐川は滝沢で討死を覚悟するが、参謀役ということで同行していた秋月悌次郎(「会津の秋月」と言えば、各地の家中にも聞こえた、なかなかの学者であり、“公用方”として京都守護職の外交を担った人物であった…彼に関しては『落花は枝に還らずとも』という小説があって、それが非常に面白い!!)が「篭城になった場面で、佐川殿の力が必ず必要になる。犬死は止めなさい…」という主旨で諭し、結局佐川の隊の残兵は撤退した…官軍はどんどん城下に迫り、城下も混乱していた中、篭城態勢になっていた…

というような流れである…会津の戦いの経過そのものは、実は“第12巻”を通じてそれ程進展していない…この“第12巻”だが、紙幅の半分程度が「飯盛山に散った白虎隊の少年達」を紹介する内容で埋められている。恐らくは近親者の話しが子孫に伝わっていて、それを取材したり、“隙間”に関しては作者の想像力で綴られたのであろう。どんどんその部分を読み進める中、何か熱いものが込上げてきた…

会津では家中の子弟教育については、かなり熱心であった…日新館という、現代風に言うなら「小学校から大学までの一貫した総合学園」を持っていて、家中の子弟は必ずそこに入学して、熱心に勉学や武芸に励んでいた…会津で“四神”の名を冠した各隊を編成した時、各隊の隊員資格を年齢別ということにした。白虎隊は16歳から18歳の少年が隊員ということになった。一部には15歳の者も入り込んだようだが…ということで、白虎隊の隊員は、悉くが「学徒出陣」だったのである…

「学徒出陣」の白虎隊に関して、当初は後方支援的業務や、城での要人警備の補助というようなことで人手が必要になった場合に活用するという構想だったようだが、一部が越後方面で前線に出ていた。そしていよいよ城下に敵が迫る情勢の中、白虎隊は出動し、前線に出ることになってしまったのだ…

この“第12巻”では、殊に飯盛山で自決した面々の“プロフィール”が随分詳しく語られている。それぞれ学問に優れていたり、武芸に秀でていたり、難儀した人を迷わず助ける勇敢さを見せたり、沈着な行動で周囲を感心させたりと、日新館の教育の成果か、素晴らしい少年達だった…また、彼らが肝試しをしていたり、姉や母親に可愛がられていたりというような様子も多出している…そういう時代が変わっても何ら変わらない少年らしさもある…そういうことがかなり多く綴られた後、碌に準備もしないで前線に出て行き、疲労困憊な状況に陥りながら戦い、必死に辿り着いた飯盛山で城下の炎上する様を観た彼らが自刃する様が…多少ショックでさえある…

実は飯盛山を訪ねてみた経過もある…(※)白虎隊の墓所を見て、彼らが眺めた頃とは様変わりもしているであろうが、城も山から眺めてみて、資料館にも足を運んだ…そして、たまたま居合わせた地元の高校生の一団を見掛けて、「遠慮なく、今やりたいことに打ち込みながら、未来を夢見る若者が生きている」という、普段は思いも至らないような“当り前”が「実に素晴らしい!!」等と考えながら、“第12巻”を読んで判ったことながら、戊辰戦争時代は神社周辺の森で、会津側の兵と官軍の兵の戦闘もあったらしい辺りを歩いていた…

あの飯盛山の資料館で多少ショックを受けた話しがある。資料館に自刃した白虎隊の少年達の肖像画が飾られていた。そこには、「親類の人達の容貌を参考に制作したもの」と注釈があったのだ…結局、少年達は「少し後に普及する写真を残すまで生きられず、何かで成功者になって、誰かが肖像画を描くようになるまで生きられなかった」という事実を、何よりも雄弁に語る注釈である…

この白虎隊の物語は、自刃した20人の中、1人がたまたま近くに来た人に助けられたということで、後世に伝えられることとなった…その生き残った飯沼貞吉に関することも、“第12巻”では詳しく綴られている…

長岡の河井が死を迎えるまでが詳しく描かれた“第11巻”を読み、「戦争で損なわれる最大のものが“人材”である」というようなことを感じたが、この“第12巻”ではそういう思いが益々強まるのを禁じ得ない…

この後は…いよいよ大河小説の最後の一冊である“第13巻”だ…

※飯盛山を訪ねた経過は下記を御参照願いたい…
http://wakkanai.269g.net/article/13772878.html
http://wakkanai.269g.net/article/13773157.html


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2009年01月29日

会津士魂〈11〉北越戦争 早乙女貢  (集英社文庫)

何か寸暇を惜しむかのようにしてこの『会津士魂』を読み継いでいる。一冊読み終えて、会津若松から取寄せた酒を少々頂き、本の読後感を纏めて一日を終えるという時間が“安堵の時間帯”になっている…

“第11巻”は、前半が越後の戦いの顛末で、後半はいよいよ戦雲が迫る会津若松の城下の様子や、攻める官軍の情勢が語られる…

“第10巻”では、越後長岡の“キーマン”であった河井継之助のことに相当な紙幅が割かれていたのだが、“第11巻”も前半はその流れだ…河井は必死の反撃作戦を試み、長岡城を奪い返し、城下町を解放した!!しかしそれは束の間のことだった…官軍は海路で増援部隊を送り込み、長岡を奪い返しに動く。そして越後の新発田が寝返ってしまう…こうなると長岡は再び官軍の手に落ち、越後に展開した奥羽越列藩同盟側は撤退を余儀なくされてしまう…

こうした情勢下、“流れ弾”が河井の左脛を砕いてしまった…重傷であった…河井は周囲の者に護られ、会津を目指すことになり、峠を越えて会津領の只見に入った。手当てが施されるが、症状は好転せず、河井は落命してしまった…“第11巻”では、この河井が倒れるまでの経過は非常に詳しく描かれている。今日、福島県の会津地方の只見町(人口6千人弱の小さな町のようだ…会津若松からのローカル線で意外に時間が掛かる場所と見受けられる…)には江戸時代に会津家中の代官が利用していたという建物、換言すると戸板に布団を敷いて河井が横たわっていたであろう建物が残っていたり、河井の事跡を伝える記念館もあるらしい…河井の記念館については、長岡にもあるようだが…

この頃になると、奥羽越列藩同盟側もかなり厳しい…仙台も“傾いて”いる状況て、米沢も経戦能力が乏しくなっており、各地で落城や逃亡が相次ぎ、小藩の寝返りも見受けられる様子な中、会津は総動員体制で、更に流れてきた敗残兵力も巻き込みながら防衛作戦を展開しなければならなくなった…

この会津を攻めようという官軍の主流を占める薩摩、長州、土佐の3者の間では、何か“先陣争い”というような内部の競り合いも生じ始めている…

主人公の兵馬は、この“第11巻”には比較的登場場面が多い。棚倉での戦いで負傷した兵馬は城下に一旦引揚げたが、少しだけ養生すると居ても立っても居られなくなり、越後方面へ派遣される隊に加わった。そこで“鬼官兵衛”こと佐川の指揮下に入って戦う…友軍が悉く敗れる中、会津勢も撤退する…兵馬は越後から城下へ引揚げる…城下では土方歳三ら新撰組の面々と京都以来の再会を果たすというようなこともあったが、城下の蔵にあった米を場内に運ばせようとした親類にあたる軍事奉行が更迭されたなどの報に接し、嫌な予感を募らせている。城下では女性達が軍服を縫うなどの作業を手伝うような状況も生じている。また護身のために薙刀や小太刀の稽古に勤しむ女性達も見受けられた。新蔵の一件で心に傷を負い、更に彼のために父が失明したことに責任を感じている妹も、薙刀の稽古に勤しんでいた…家中の軍制が改革され、少年達による白虎隊も編成されたが、兵馬の弟はその白虎隊に参加していた…

というような具合で、兵馬自身も迫る決戦の空気を肌で感じ始めており、家族なども慌しくなってきた…積雪が見受けられる時季も近付こうとする中、官軍はいよいよ会津領へ侵入し、城下へ進撃しようと動き始めた…続きから目が離せない…

この『会津士魂』を読んでいて知人が随分以前にしていた話しを思い出した。第2次大戦中は“学徒動員”で戦地に出ていて、復員後に復学し、学術分野で成功した人が言ったのだという。「自分より一足先に戦地に出て、一足先にあの世へ行った同期達が居たが、彼らは自分よりも余程優秀だったんだ…」とである。第2次大戦であれ、戊辰戦争であれ…“戦争”がもたらす最大の損失は“人材”だ…この“第11巻”では、流れ弾で重傷を負ってしまった河井のことが随分詳しく綴られるが、或いは作者は河井を「戊辰戦争で無駄に命を落とした人材の代表格」として扱ったのかもしれないなどと感じた…

この『会津士魂』を含めて、会津関係の本を盛んに読むようになった切っ掛けは旅だった…もう直ぐ『会津士魂』の全巻読了を迎えることになるのだが、ここで「更なる旅」という思いも膨らんでいる…とにかくも次はいよいよ白虎隊の挿話に紙幅が割かれるであろう“第12巻”だ…


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2009年01月28日

会津士魂〈10〉越後の戦火 早乙女貢 (集英社文庫)

何か、このところは“合間”の時間を糾合して『会津士魂』を読み継ぎ、一巻を読了する毎に読後の感想等を纏めるのが“日課”の様相を呈しており、「それ抜きでは落ち着かない…」という感さえ抱くようになっている…そういう具合で、“第10巻”も無事に読了し、こうして読後の感想等を整理しようとしている…

“第10巻”は、既に二本松の落城というような話しが“第9巻”に綴られているので、やや時間軸が交錯しているのだが、越後方面での戦いの様がかなり詳しく描かれている。越後に出動した会津家中の面々の様子も描かれているのだが、寧ろ越後で“キー”となった長岡の家中、殊にそこの“キーマン”であった河井継之助の動向に相当の紙幅が割かれている。或いは“第10巻”は「河井継之助と長岡のドラマ」であるが、会津での戦いの流れを語る上で、越後の動向は詳しく語られる必要もあるのだ…

越後には譜代大名が多い。外様大名は例外的な位である。その中にあって、長岡は歴代の長岡侯が幕府の最高首脳部の一画を占める老中に選任されていたこともあり、越後の諸侯の間で大きな存在感を有していた。長岡は7万4千石という看板だったが、実際には新田開発に成功するなど財源がそれなりにあり、14万石程度の歳入があったと伝えられる。「大坂の陣」の後辺りから、概ね250年に亘って牧野氏が長岡侯であり、永い支配を通じて領民との関係も悪くはなかったようだ。永い治世を通じて、代々要職を務めた重臣も家中にはあったが、それでも激動の幕末期に大抜擢をされた俊才が在った…その俊才こそが河井継之助である。

“第9巻”で説明があったが、旧幕臣らの衝鋒隊が暴れまわって戦雲を越後に招いたような面もあったが、越後に“飛び地”を領していた会津侯も家中の軍勢を越後に派遣していた。官軍との衝突は始まってしまった…長岡は奥羽越列藩同盟に同情的な態度を示しつつも軍勢を動かして参戦することはなかった…河井には独自の論が在った。「長岡は中立を保ち、官軍側と会津側の話し合いの仲介役を務め、戦闘拡大を避ける」というのが彼の考え方であった…

官軍は海側と内陸側の二手で進軍していた。実質的な全軍の責任者であった山県狂介(後の有朋)は海側で、内陸側は土佐の岩村に預けられていた。長岡の河井は、岩村が前線本部を構えた小千谷の寺に書状を持参して出向き、持論を訴えようとしたが、岩村は「話しにならん!!」という態度で、全く交渉にならなかった。“第10巻”には、この辺りが非常に詳しく描かれている…

長岡の城だが、「平和な時代」に入った“大坂の陣”の後、換言すると「徳川の幕府が安定し始める頃」に完成したもので、これは「守備の兵が篭り、攻める側と戦う」という“城らしい”建造物ではなかった。“城”と呼ばれ、長岡侯の権威を象徴し、家中の心の拠所とはなっていたが、「建造物の性質」としては治世のための“行政府庁舎”でしかなかった…そういう事情もあって、河井はかなりの資金を投じて、領内防衛のために新鋭の火器も集めていた。当時の「新鋭中の新鋭兵器」であったアメリカ製のガトリング砲まで備えたという…河井の論は“武装中立”を貫いた上での戦闘拡大阻止だった訳だ…

“武装中立”を貫いた上での戦闘拡大阻止が夢と消えた後、河井は本営に乗り込んだ自分を捕らえてしまうなどの手を打たなかった官軍側を嘲笑し、開戦を決意する…激しい戦いが始まり、長岡城も官軍の手中に落ちてしまったが、河井や越後にあった反官軍勢力は奮戦し、戦線を押し戻すに至っている…“第10巻”はこの“一進一退”の様が詳しく語られていて、非常に興味深い。

この“第10巻”だが…兵馬や敵の新蔵は全く出てこない…新蔵はともかく、兵馬については越後の戦いが始まった辺りでは白河を巡る戦いに従軍し、その流れで発生した棚倉の戦いの中で負傷してしまい、白河の指揮官を更迭された西郷頼母と共に城下に引揚げているので、ここに登場しないのは当然なのだが…

“第10巻”の気になる記述である…

「功なり名をとげてからの回想記は、大方が、失策の糊塗にあてられるものだが」

この“第10巻”では随所に、山県狂介(後の有朋)の回想『越の山風』の本文や内容が引かれている。山県は長岡城を攻め取る戦いで、“片腕”と恃む時山直八を失っている。そのことを筆頭に、副官の一人ということになる土佐の岩村による、河井を相手にしなかった件など、越後の戦いについては多くの悔いも残している…上記は、そういう辺りを語る部分の一つで出て来るものである。

苛烈さを増しながら戦いが続いているが、或いは各陣営揃って、後から“糊塗”してみたくなるような「思惑と実際のずれ」を積み重ねて自体が動いている…後年“大物”として権勢を振るったという山県をそれの“代表格”のようにして持ち出しているが、実は「後年の回想」などを遺すこと適わず、それ以前に命を落としてしまった“敗れた”側にも色々とあったことを思い出さざるを得ない…

更に…“失策の糊塗”というのが考えさせられた。どんな人でも、程度の大小こそあれ、そういうことはしていると思う。また失策があっても、それを挽回しようと次の一手を考えたり打ったりすることは、“糊塗”と非難めいた言葉で語られる必要も無い“普通”なことかもしれない。しかし、その“失策の糊塗”も程度が大き過ぎて「失策を糊塗どころか脚色して“間違いは無かった”などと主張」と受取らざるを得ない状況があればどうであろう?それは卑怯とか卑劣と言わざるを得ないと思う。更に、そういう次元の“主張”を容認するような、或いは“脚色”によるものでしかない結果を賞賛するような人が居れば…それは“失策の糊塗”の度が過ぎる人に輪を掛けて卑怯、卑劣であると言わざるを得ないのではないだろうか?実際、そういう類の人は意外に多いような気もするし、そういう人は「“失策の糊塗”が見受けられるのではないだろうか?」という類の疑問を呈する者を排撃しようとする傾向さえも帯びるような気がする。

この“第10巻”で“失策の糊塗”の“代表格”のように持ち出されている山県狂介(後の有朋)は、後年大いに権勢を振るう。作者はこの山県を含め、長州の関係者の多くが「京都での無茶」を後から“糊塗”し、更に会津等に「“悪者”のレッテル貼り」を仕出かしていて、甚大な犠牲を人々に強いる内戦まで起こしていること、そしてそれもまた“糊塗”されていることが嘆かわしいと、本作全編を通じて熱過ぎるまでのトーンで主張している…これに想いを巡らせた時、「“糊塗”の上に権勢を振るう“偉人”が登場…であれば一般人も大手を振って“糊塗”をしても差し支えない…」というような意識が、“人間の奥底”に根を張ってしまったのかもしれない等と考えないでもない…

さて、『会津士魂』もこの“第10巻”に至ってかなり話しが拡がった…何か“キーマン”になっている河井、或いは山県に関連するものにもそのうちに触れてみたいなどと考えるようになっている…

“第10巻”は越後の戦いで、一旦官軍が奪った長岡城の奪還を目指す辺りで終わっている…恐らく“第11巻”でもこの越後の戦いの続きや、会津若松の城下に迫る官軍の動きが語られることであろう…非常に楽しみだ!!


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2009年01月27日

会津士魂〈9〉二本松少年隊 早乙女貢  (集英社文庫)

読み続けている大河小説『会津士魂』の“第9巻”である。相変わらず一日の暮らしの中にある“合間”を糾合して読み進めているが、夕方の時間帯に一寸纏まった時間を割いて、多少入り込んで読んでいると、時間と空間を超えた作品世界への旅をしてきたような錯覚に陥る…こうして読後の感想等を纏める時間帯というのは、「旅の余韻に浸る」時間なのかもしれない。そもそも『会津士魂』については、「旅の余韻に浸る」ように会津関連の本を読んでいた中で出くわしたものであったのだが…

“第9巻”はどんどん奥羽越列藩同盟側に不利となっていく奥州の戦いの進展に加え、北越方面の動きが綴られている…官軍の中、奥州に最初に入った、仙台等に対会津開戦を強要した勢力は海路で奥州入りをしていたが、白河で戦った勢力の大半は太平洋側や内陸の陸路を北上してきた。ここに再び、海路で奥州に増援が上陸する。更に、官軍は北陸方面に新たな軍勢を進め、越後を経由して会津に迫ろうとしているのだ…

奥羽越列藩同盟は白河城を奪還出来ずに居た。なかなか思うように戦えない中、とうとう海路で官軍の大規模な増援部隊も奥州に入る。彼らは白河を護りながら、周辺の棚倉、磐城平、二本松で戦いを繰り広げ、それらをも落城させてしまう。奥羽越列藩同盟の一画を占めていた小藩の三春が寝返ってしまった…そもそも“分裂”を内包していた仙台も動揺し、連戦連敗に陥る…彼らの戦いぶりは、能力や見識を疑わざるを得ない指揮官の様に苛立つ場面が多い他方、なかなか悲壮なものがある…越後方面では旧幕臣らの衝鋒隊が動き回り、“きな臭さ”をばら撒く…長岡の河井継之助らは、徒に戦を広げるような彼らの行動に苦慮する。会津侯の実弟である桑名侯は既に伊勢の城を焼かれてしまっており、幕府から与えられていた“飛び地”の領地である越後の柏崎に逃れていた。ここに家中の者達も集まるが、「官軍に付いて会津と戦う」とする論が台頭し始め、その論者を斬殺するものが出て来るという事態になってしまった。会津家中では、白河陥落に責任を感じ、奪還を目指していた指揮官の西郷を更迭せざるを得なくなってしまった。他方、その武勇を知られた佐川官兵衛の率いる部隊を越後方面に派遣した…

極大雑把に言えば上記のような流れになる…幕末期には方々で有名無名の、様々な性質を帯びた“○○隊”が登場している。この“第9巻”にもそういうものが幾つか取上げられている…

この“第9巻”のサブタイトルは「二本松少年隊」であるが、二本松を巡る挿話には随分紙幅が割かれている。白河を巡る攻防が続く他方で、官軍は同盟側の小藩を次々に攻めるが、その中で二本松も攻撃を受けた。極短い期間で二本松は平らげられてしまい、その戦いはそれ程詳しく伝わっていないかもしれないが、窮地の二本松では家中の者を総動員して必死に戦った。その「家中の者」の中に14歳、15歳という少年達が居た…平時は、彼らに学問や武芸を教授する役目などを担っていた20代の者が“隊長”を務め、少年達を率いて戦場に出た…生き残ってそれぞれの路を歩んだ者も多いが、必死に戦って散華してしまった者も多い…また二本松侯の一族だが、米沢に落ち延びている。その辺に関しても詳しく紹介されている…

“第9巻”の後半部で越後方面に戦雲が漂う様が語られるが、その方面で“鍵”のようになっている、或いは「なってしまった」のが“衝鋒隊”である。旧幕臣等が「戦う場所(=死に場所)を求めて各地を放浪」という様相を呈しており、“静観”、“逡巡”という雰囲気の北越方面の各城下に流れ込んで色々と騒ぎを起こす厄介な存在になっていた…或いは官軍が軍事行動をする“口実”となる存在になっていた面があった…

そして主人公兵馬だ!彼は棚倉攻撃の官軍を迎え撃つ戦いに参加し、額に傷を負ってしまう…傷の按配が悪いので、彼は城下に引揚げることにした…その時、白河方面の指揮官を更迭された西郷が引揚げるタイミングに当り、兵馬は「お供をさせていただきたい」と申し出て、一緒に城下へ引揚げていった…兵馬の他方、敵の新蔵はこの“第9巻”でも登場は無い…

負傷を癒そうと引揚げる兵馬と共に歩む西郷は、白河が官軍の手に落ちようとした場面で討ち死にを覚悟したものの逃れ、何とか白河を奪い返すことに心血を注いでいたのだが、残念ながらそれも果たせずに更迭余儀なくなり、失意の道中であった。この西郷が城下へ通じる国境の山道で発する台詞が印象的だ…

「山も河も木も草も、死ぬことはない、藩とか“くに”とか、そんな小さな区分けなど、木も草も考えてはいないのだ。そう思うと、わしは、人間というものが、小さく、卑小なものに見えてくる…」

西郷のこの台詞を含む言葉を受けた兵馬は、失意の彼が切腹でもしてしまうのではないかと慌てるという場面だ…西郷はこの後も生きて、未だ色々な役割を演じることになるのだが…

私は上述の台詞に「作者の深い所にある想い」が滲んでいるような気がする。会津に汚名を着せてしまおうとする勢力と、それが不当であるとする勢力が多くの命を削る争いを演じている奥州という土地の豊かな自然は、人間のつまらない争いを超越した所で“いのち”を脈々と繋げていることに、不意に思い至る場面である…『会津士魂』の作者は、作中の「地の文」的な表現の中で、史上の様々な人物や事件の白黒をかなり手厳しく、殊に“黒”と作者が考える側の人物などに関しては強烈な程なのだが、私はそれは「会津は“賊”ではなく、伝えられている“歴史”には余りにも不備が多いじゃないか!?」という「熱過ぎる想い」の吐露で、寧ろその奥には上述の「西郷の台詞に込められたもの」があるような気がしている。

『会津士魂』を著わした早乙女貢氏は、毎年9月23日に会津若松市で催される時代行列に参加していたことで知られる。彼は何時も会津の家老だった西郷頼母の扮装で参加していたそうだ。そんな有名な作者の挿話のことも手伝って、何か上述の台詞を吐いた場面の西郷は「作中の西郷の姿をした“作者自身”が作品世界に降臨した」というように感じられた…

これから先は会津を巡る戦いが苛烈さを増していく…“第10巻”にも期待だ!!


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2009年01月26日

会津士魂〈8〉風雲北へ 早乙女貢 (集英社文庫)

全13巻の大河小説も“第8巻”にまで至った。当初は「大作過ぎて敷居が高いような…」という感覚も抱いていたのだが、読み始めてみれば非常に“続き”が気になって、ドンドン読み継いで“第8巻”に至っている…

“第8巻”は若干時間の前後が入る…この“第8巻”の前半部は、時期としては“第5巻”辺りから“第6巻”の前半辺りに描かれた時期から書き起こされている。幕臣らによる官軍勢力への抵抗は、上野の彰義隊だけではない。大鳥圭介を総督に担いだ勢力を中心に、関東各地で戦いが続いていた。大鳥圭介の勢力には、新撰組の土方歳三らも居た…関東各地で彼らは勇戦し、一進一退で勝利や敗北を重ねていくが、終には日光方面から会津に合流する途を辿る。そして時間軸は“第7巻”辺りの白河を巡る戦いに戻っていく。奪われてしまった白河を奪い返すべく、奥羽越列藩同盟は必死に戦うが、戦局は好転しない…

大雑把に言えば“第8巻”は上述のような感じになるが、非常に面白い挿話が多く入っている。

殊更に面白いのは細谷十太夫が率いる、“からす組”と俗称された“衝撃隊”の活躍である。血気盛んな仙台の細谷十太夫は、苦戦を強いられる白河を巡る攻防の中、自身も負傷して積極的な攻撃を仕掛けない上司と意見のぶつかり合いを生じて激昂してしまう。本営を飛び出して「今後のことを考えよう…」と入った蕎麦屋で、十太夫は顔馴染の“親分衆”と出くわす。言葉を交わす中で思い立ち、「俺に命を預けてくれ…」と彼は侠客達を掻き集めて独立戦隊を組織してしまった。近くの妓楼に乗り込んで「当分借り切る!!」と掛け合い、障子に“仙台藩細谷十太夫本陣”と大書して看板にした。そして居合わせた女達に手伝わせて、黒や紺の“制服”も誂えた。「命知らず」な男達を率いた十太夫は、神出鬼没で官軍を襲う“ゲリラ作戦”を果敢に展開した。黒系の衣装に身を包み、深夜や早朝の襲撃を繰り返した“衝撃隊”は、何時しか“からす組”として勇名を馳せた…ハッキリ言って、この細谷十太夫関係で一つ独立したドラマが出来る程の話しだと思うが、この“第8巻”でも隊長の十太夫の指揮下に集った個性的な男達が暴れる様が詳しく描かれ、非常に愉しい!

幕末期、名前を聞いたことのあるような大名の家中は、何らかの型でそれぞれの役割を演じているが、嘗てその末裔が県知事、更に首相にまでなった肥後細川の家中に関しては意外に知られていないような気がする。その話しも出て来る。肥後侯の家臣が各地で“情勢視察”を敢行しており、奥州にも至っていたというのだ。奥羽越列藩同盟の会議に“オブザーバー参加”のような感じで、その視察を敢行した人物が同席さえしたという。彼は肥後へ戻ってから、「賊軍を組織したとんでもない奴!」と中傷され、立場が悪くなって潜伏を余儀なくされたというが…その人物、竹添進一郎に関しても一章を費やして詳しく紹介されており、これも興味深い。

そして“第7巻”に登場シーンが見当たらず、「どうしたものか?」と私は案じていた主人公の兵馬だが…還ってきた!!彼は江戸を抜け出し、商人に変装して会津を目指して旅をしていた。日光口で勇戦していた部隊を率いた山川大蔵に面会し、武士の象徴である刀を授かり、それを差して会津に帰郷を果たしたのだ。しかし彼が会津に止まったのは僅かに3日…白河奪還を目指して出動する部隊に加わり、戦闘に参加した。仲間達が次々に討ち死にする中、手折れた仲間が手にしていた貴重な新式銃を「借りる」と手にして官軍に向かって発砲するなど戦い続けた…

更に“敵”の新蔵だが…“第8巻”にも登場シーンが無い…何処に居るのか…気になる…

この“第8巻”辺りになると、奥羽越列藩同盟が内包してしまっていた「軍事作戦の指揮が取り悪い」ような加盟各藩の立場や、同盟自体の体制のことなど、“問題点”の解説のようなことも出て来る。また、同盟は仙台の玉虫の発議で、「諸外国へのアピール」も試みる。“第5巻”の最後の方で江戸から脱出した、寛永寺に在った輪王子宮は“第8巻”で奥州入りを果たした。宮は「天皇、朝廷には忠実であろうとしているが、薩長の暴力は許せない」とする奥州の諸侯の立場には非常に同情的である。また奥州の諸家中も宮を厚遇する。が、「彼を旗頭に…」となれば「正面から朝廷とぶつかり、足利時代の“南北朝”の二番煎じと言われてしまいかねないような事態」となってしまう危惧もある…こういう複雑な問題がどうなるのか、というのもこれから先の物語を読む上では楽しみである。

“第8巻”にも色々と気になる文章が見受けられた…

「こういう男は、頭の上に誰かいないと、行動できない。自主判断する能力も勇気もないのだ。親分の地位や名声が頼りで、またこういう男にかぎって、虎の威を借りる」

↑これは勝海舟の意を汲んで、関東各地で戦う旧幕臣らの陣営を巡って、抗戦中止を呼び掛けている男が“第8巻”で詳しく描かれている大鳥圭介や土方歳三の勢力の陣営にやって来た際の話しに出て来る記述だ。

この男は、以前は京都と江戸を往復した“浪士組”に関与していて、その際の主唱者だった清河八郎の“子分”と目されていた。数年経た後には勝海舟の“子分”と目されているという次第である…

この種の大河小説には様々な人物が出て来る。そしてそれに触れて「こういう傾向の人物…意外に居るような気もしないではない…」と気付き、何かハッとする…

この『会津士魂』の作者は、その様々な人物に関して随分思い切って“白・黒”を断じるように“地の文”も綴っていて、それについて「好き嫌い」もあるかもしれない。その問題は一寸置いておきたいが…

私が上述の文章にハッとしたのは「“上”が言うから…」というようなことを口にする人が「実に多く巷には見受けられるような気がする」ということに思い当たったからだ。例えば…言葉の意味が判ろうが、判るまいが「○○という要職にある御方が仰った」等と、正直なところ意味不明な言辞を珍重してみたりする。こういう例に思い当たる読者諸賢も多いのではないだろうか?

読んでいる小説の時代は「価値観が揺れる時代」である。そして今日もそうかもしれない。だからこそ、自分の知識を広げたり深めたりという努力を怠らず、様々なものを検討する能力、そしてそういう知識や能力を飽くまでも活かし続けるというような意志…それらは「頭の上に誰かいないと、行動できない」と対極にあるもののように思えるが、こういう時代だからこそ個々人が心掛けなければならないことのようにも思う。

何か酷く続きが気になる展開の“第8巻”を読了し、この読後の感想などを整理していると、手配してあった“第9巻”以降の文庫本が拙宅に届いた…実に素晴らしいタイミングである!!


早乙女 貢
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2009年01月24日

会津士魂〈7〉会津を救え 早乙女貢 (集英社文庫)

雪が断続し、積雪が強風に舞う地吹雪も発生するような休日…こういう日は、読書には好適である…ということで、どんどん佳境に入る『会津士魂』の“第7巻”を1日掛けて読了してしまった…

“第7巻”は白河で奥州の戦闘が本格化していくまでの流れを描いている。仙台、米沢などが会津での戦闘回避のために骨を折る様に随分と紙幅が割かれている…仙台の使者が会津に行っている間に戦端が開かれた経過もあり、会津には不審もあったが、恭順の姿勢で“謝罪嘆願”という姿勢に徹して戦闘を回避する考え方でまとまる。だが、終いには仙台侯、米沢侯自身までが総督の九条卿自身に面会したものの、“嘆願”は悉く握り潰されてしまう。九条卿ら総督達は“飾り物”に過ぎない…長州は会津に、薩摩は庄内に“私怨”を抱いていた…何かその“私怨”のために「何としても開戦」という様子になってきた…こうした中で総督からの司令(勅命)ということで軍を動かした仙台の家中は揺れるが、やがて奥羽越列藩同盟が成立し、「朝廷に刃を向ける意志は無いが、薩長の横暴な振る舞いは許すまじ」ということで奥羽越の武士達が立ち上がる。白河では会津の軍勢が駐屯していた官軍を破って入り込み、いよいよ本格的に開戦態勢である…官軍は白河奪回を目論んで白河を攻める…そして奥羽越列藩同盟側の勢力は脆くも敗れてしまった…

という流れであった“第7巻”だが、主人公の兵馬や、“敵”の新蔵は登場しない…「どうなったんだ!?」ということで、“第8巻”が待ち遠しくなってしまった…

“第7巻”で展開される物語では、官軍の世良が“キーマン”であると思う。世良は長州の男である。強硬に会津との戦闘開始を画し、仙台の家中等に攻撃開始を迫り続ける。粗暴な振る舞いや行儀の悪さで仙台家中から大顰蹙を買ってもいた。仙台家中は最後の最後まで戦闘回避を画するが、「何が何でも攻撃」という世良の本音を知り、仙台の家中は終に世良を斬ってしまった…さしずめ「揺れる仙台家中VS世良」という様相を呈しているのが“第7巻”だ…

“キーマン”と言えば、仙台の真田という人物もそうであるような気がする。彼は仙台家中にあって、「本気で会津を攻める」という考え方の急先鋒だった。こういう人物の存在もあって仙台家中は難儀する…

それにしても、この“第7巻”では“官軍”とか“錦の御旗”というもののお蔭で“豹変”する人達と、「“価値観”が揺れた時代」にあって各々の思惑でぶつかり合う人々というものが、作者独特の調子で活写されている。

ある人が言っていた話しを思い出した。その人は随分以前に知人と他所の地を訪ねたことがあったらしい。それから年月を経て、また知人と他所を訪ねたらしいが、その際に「人の立場が変わって、人は随分感じが変わる」というようなことを感じたそうだ…

この“第7巻”のみならず、作者は頻りに“成り上がり”というような表現を用いている。“第7巻”では、官軍の世良や、官軍側に取り立てられた型になった真田に関してこの表現が多用されている…この“第7巻”では、2人の“成り上がり”が物語の“キーマン”と感じながら読み進める中で、上述のある人の話しを思い出したのだった…些かの次回も込めながら敢えて綴るが、“成り上がり”と言う程のものではないにせよ、何か「思い違いで増長」というような“成り上がり”の“症候群”的なものは、手近な場所に存外多いような気がしないでもない…

この“第7巻”の最後の方で描かれる白河の戦いだが、正しく「“価値観”が揺れた時代」の戦闘という感じがする。そしてその中で、白河の総指揮官となった会津の西郷頼母は、「新しい側」に対応困難に陥ってしまった面もあったことが描かれている…

この作品が描く時代程でもないのかもしれない(見方によっては一寸違って、それ以上かもしれないが…)が、私達が生きている時代も「“価値観”が揺れる時代」である…直接的な“回答案”がそこにあるとも思えないのだが、何かこの作品の時代を学ぶ、考えるというのは「今だからこそ触れる」意味があるような気がしている。

ということで、続きの“第8巻”にも早く触れたい!!


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会津士魂〈6〉炎の彰義隊 早乙女貢 (集英社文庫)

“合間”を利用して読み続けている『会津士魂』も“第6巻”まで進んだ…

「歴史を語る度によく言われることだが、常に歴史は、支配者側の行動のみが記されて、庶民が受けた衝撃や迷惑など、状況がわからないという。勝敗も正邪も、すべて権力・武力をもツ当事者によって左右されていて、庶民の思考や感情は無視されているという」

↑この“第6巻”の半ば辺りで作者はこのように一節を書き起こし、“チョボクレ節”等と呼ばれた、作品世界の時代に流布したとされる風刺の歌の歌詞に関する話題を持ち出している。

ここまで読み進んできて「常に歴史は、支配者側の行動のみ」という部分が私を刺激した。この「常に歴史は、支配者側の行動のみ」というのは、作者が『会津士魂』という大河小説を「綴りたかった大切な理由」の一つのような気がしたからだ。近現代の出発点のような“明治維新”というもので、「駆逐されてしまった側」は無茶なことをしていた訳ではなく、「駆逐した側」が“己の野望”のために無茶なことを重ねたのではないだろうか、或いは「作者はそう確信している」というのがここまで非常に強く感じられたことである。

“第6巻”は上野での彰義隊の敗戦後、非常に激しい掃討作戦が行われた辺りから書き起こされ、生き残った関係者が榎本武揚の指揮する幕府軍艦に身を寄せて脱出を図る辺りの話しになる。会津の家中は順次城下への引揚げを果たしていた…そして後世“戊辰戦争”と呼ばれる戦いの火は奥州方面に飛び始める。官軍は会津討伐を目論見、仙台の伊達家中の領地に入り込んだ。仙台軍が会津攻撃に加わり、先陣となるように圧力を掛ける。仙台の家中では「会津を本気で攻める」考え方、「怨恨があるでもない会津を助け、戦火を避けようとする」考え方、更に「官軍の言うことを聴いて軍勢を進めつつ、会津側と話し合い、犠牲を抑える」考え方で意見が分かれ、大変な様相になる。また米沢の上杉家中は、嘗て後継者問題で上杉家が断絶する危機に陥った際、会津の藩祖である保科正之が尽力して家名が残った故事に関して“恩”を感じているという事情も手伝って、積極的に攻撃回避を図ろうと動き回った…

という按配で、会津家中の話しがこの“第6巻”では幅を広げた感である…会津家中では、会津侯が後継者に家督を譲り、城に入らずに別邸で“謹慎”ということにした。そして国境の主要な街道入口を防御する兵を配置し始めた。仙台では長州出身の、その倣岸な振る舞いで顰蹙を買い、非常に憎まれていた実質的指揮官の圧力に屈し、結局軍勢を会津領へ向けて進発させる。仙台家中の「軍勢を進めつつ、会津側と話し合い、犠牲を抑える」考え方の現場指揮官が、会津の現場指揮官と密談に及び、「“空砲”を使って“開戦”の事実だけを作る」と密約した…しかし、現場には「本気で攻める」考え方の者達や、仙台以外の将兵も加わったことで“空砲”の話しは反故になってしまった…いよいよ会津の戦争が始まってしまった…という辺りで“第6巻”は終わる…

そして主人公の兵馬である。兵馬は彰義隊の戦いの中で白刃を振るっていたが、生き残った!!大砲が炸裂する中で気を失い、崩れた建物の陰に居て、煙が漂う戦場で意識を回復した…近くで共に戦い、足を傷めてしまった源四郎を助け、“兄”と慕った只三郎の未亡人と幼い子ども、過日助けた娘と、旗本である彼女の病気の父が居る家にとりあえず隠れた…彰義隊の勇戦の後、江戸では“残党狩り”が執念深く続けられた。“密告”が横行するようになった…兵馬は、“残党”となった同志達と今後について話し合うために出掛けた。その間隙に、密告を受けてやって来た官軍によって源四郎が斬殺されてしまった…兵馬は江戸を脱出することを決意した。会津では、次々と家中の者達が引揚げてくる中、兵馬の消息が案じられていた…袂を分った半介も消息が知れなかった…因みにあの“敵”の新蔵は何処で何をしているものか、“第6巻”には登場しない…

この“第6巻”の中盤辺りでは幕府軍艦の江戸出航の話しにも紙幅が割かれている。嵐に遭い、大変なことになったという話しである。流されて清水に着いた一隻は、その後官軍に襲撃され、乗っていた者が悉く殺害され、“見せしめ”で遺体の始末が禁じられた…そんな中、「それはあんまりでございます…」と遺体を片付けたのは侠客の清水次郎長だったという挿話も紹介されている…幕末に関しては、この種の話しが幾分伝えられている…

恐らくは“第13巻”までで、鶴ヶ城が落城するまでのことが描かれるのであろう『会津士魂』だが、佳境に入って行く感である。実は手元に“第8巻”までがある…この勢いでは直ぐに手が伸びてしまいそうなので、“第9巻”以降を手配したところである。何か、「こんなに熱中して大作小説を読んだことがあっただろうか?」と思えるような状況になっている…

本作は壮大な歴史の動きを描くもので、非常に多くの人物が登場しているが、“主人公”に兵馬が配置され、随時彼の動きが語られている辺りで「一連の物語」としての“締り”が保持されているのが善いのであろう…丁度、休日に入った…読書三昧になりそうな気配である…


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2009年01月22日

会津士魂〈5〉江戸開城 早乙女貢  (集英社文庫)

私が手にしている『会津士魂』の文庫本各巻には“巻末エッセイ”と称して、作品に関連する事項や、作者早乙女貢氏に関する事項を題材にした、様々な人による文章が各巻に1本ずつ寄せられている。その中の一つに、外国へ行く機会もあった早乙女貢氏が、世話になった各国の日本大使館等に『会津士魂』全巻セットを“お礼の記念品”として贈っていたというエピソードがあった。私はそういう生業の人間ではないので想像する他ないが、「作家が自作を人に贈ろうとする」という場合、恐らくは思い入れの強い作品を選ぶのだと想像する。そういう意味でも、作家のこの作品への強く熱い想いが分るというものだ…

その作者の強く熱い想いの故か、スッカリと作品に嵌ってしまい、物語の展開に連れて読む勢いが増し続け、朝、昼、晩と空き時間を糾合するという“策”で、“第5巻”を読了してしまった…

“第5巻”は“さきさま”(前将軍)が謹慎という話しになる他方、討幕陣営の軍勢がどんどん江戸を目指すようになり、冷たくあしらわれて終始しまう“さきさま”(前将軍)の助命嘆願の顛末が語られ、やがて江戸開城の後の彰義隊の物語が綴られる。彰義隊の起こり、その発展、内紛、上野での激戦と敗走…これが克明に綴られた“第5巻”は「彰義隊挽歌」というような雰囲気が漂い、それに引き込まれずには居られない…雨中の激闘の様が活写されていた…

彰義隊に関しては、例えば「江戸開城後、旧幕臣らによる上野での彰義隊の抵抗があったものの官軍に平らげられ」というような余りにも淡白な“教科書的”な話ししか私は知らなかったが、本作を通じて「男達の物語」を知ることが出来た次第である…

この“第5巻”は「江戸開城」という副題ではあるが、勝や西郷に対して非常に批判的な作者は、両者の会談の挿話等には殆ど触れていない…

本作の主人公的立ち位置の兵馬である。家中の帰国を見送って江戸に残留した彼は、少年時代からの友である、同じく江戸に残った僚友の半介と共に彰義隊に参加する。彰義隊は江戸に戦雲が漂って治安が悪化する中で警察的な役目も担いつつ、討幕陣営が迫る不安な月日を過ごすこととなる。やがて彰義隊では、「例えば宇都宮に本拠を移して、関東に戦場を求める」考え方と、「寛永寺に在る輪王子宮を護り、江戸を護るべく上野を拠点にして討幕陣営との決戦に及ぶ」という“路線対立”が生じてしまう。“路線対立”は内紛まで産み出してしまった。兵馬は後者に、半介は前者に与する。2人は袂を分ってしまった…兵馬は、旗本の娘と知り合い、“束の間のロマンス”のようなものも在ったが、討幕側兵士の乱暴に困っていた彼女と彼女の病気の父親を逃がし、上野の山で決戦に臨む…激戦の中、兵馬は白刃を振るって勇戦したが…

実は兵馬がどうなったのかについて、“第5巻”では分らない。そして“敵”の新蔵は“第5巻”では登場しない…もう“第6巻”に手を伸ばさなければ耐えられない!!!

この“第5巻”で気になった箇所を一つ挙げておく…

「御家のために」
という一言が、キリスト教徒の殉教精神と同じように発揮される。言葉が違うだけで、要求するところは同じだった。責任者が死ねば、自分たちは助かる。それなら領主に死をもとめればいいのだが、それをしないところに、大義名分がある。最高責任者に責任を要求することは、自分の保身を見すかされるからだ。天皇に責任なしとするのと同じ論理である。この国の奇妙な伝統的論理である。

↑上記は、討幕陣営に与する大名家が次々と増えて行き、それらが江戸を目指す軍勢にどんどん加わったことを語る場面で出て来る…

作者が指摘する「この国の奇妙な伝統的論理である」というものであるが…「意外に思い当たるような?」という気がしている…

上野が主要舞台の“第5巻”だが、上野というのは何か個人的な思い出が幾分在る場所だ。小学生の時、“親父殿”、“賢弟”に私自身を加えた3人で旅行をした時に到着したのが上野駅だった。それから大学進学のために東京へ南下した際に、初めて利用した新幹線で到着したのも上野駅だ。その後、私の様子を見に来た“親父殿”を送りに行き、青い客車の脇に“札幌”と行き先表示が出ていて、青函トンネルの開業に感嘆したのも上野駅だった…という按配だが、上野駅の辺りは、彰義隊の時代には門前町の様相を呈していたようだ。そしてその辺りで、討幕陣営が順次投入した将兵で囲む中、彰義隊は「どのように考えても勝利の望みが薄い」と言わざるを得ない状態ながらも、討幕陣営の暴力を快く思わない街の人達の支援も受けながら勇戦したのだった…

実は一昨年の11月に上野駅に立ち寄っている。あの時は彰義隊の戦いというような歴史に想いを巡らせることは無かった…次に機会があれば、この戦いで往時の伽藍が破壊され尽くしたという寛永寺にも立ち寄ってみようか、などと考えていたりする…

“第5巻”の最後の方で、寛永寺に在った輪王子宮は何とか脱出し、心有る人々の支援も受け、幕府軍艦に何とか乗り込んで奥州を目指している。確か“奥羽越列藩同盟”は彼を擁立して“東北政権”を打ち立てることを夢見た筈だが、その辺の話しがどう描かれるか?そして兵馬は白刃を振るって上野広小路に踊り出て斬り合っていたが、その後どうなったのか?敵の新蔵は何処に居るか?旧くからの菓子の宣伝文句でもないが、既に「止められない停まらない」になっている感である…


早乙女 貢
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2009年01月21日

会津士魂〈4〉慶喜脱出 早乙女貢  (集英社文庫)

何も本の世界に耽溺するという訳でもないのだが、気になって読む速度が上がった“超大作”の“第4巻”である…オフィスに出る前に喫茶店に寄って行った“朝の読書”、昼食を愉しみながらの“昼の読書”、オフィスを引揚げた後に喫茶店と夕食を愉しませていただいた“W”を梯子しての“夕べの読書”という営みで、1日で一気に読んでしまった…帰宅して、小説の主人公達の心の拠所であった城下町から取寄せた酒をグラスに注ぎ、その芳香と優れた米が醸し出すスッキリした甘さを愉しみながら、読後感をまとめようとしている…



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と、いきなりコマーシャルまで添えて書き起こし始めたが、この“第4巻”は「慶喜脱出」という副題が示すとおり、“さきさま”(前将軍)が薩摩を討つべく勇戦するよう将士を鼓舞しておきながら、会津侯や桑名侯を拉致同然に引き連れ、劣勢を強いられて傷付いた彼らを見棄て、軍艦で江戸に引揚げてしまう顛末を軸に、様々な人達の物語が綴られている。読み応えがあった…

“さきさま”(前将軍)が大坂城から抜け出して江戸へ引揚げてしまう様は色々と紹介されているのだが、本作程仔細にその様が描かれているものも、少なくとも私自身は類例を知らない…天保山…今日の大阪で言えば、多分あの“海遊館”や巨大な観覧車がある辺りであろうが…そこから冬の灘に漕ぎ出した“さきさま”(前将軍)一行は、米艦に乗り、やがて幕府軍艦“開陽”に移って江戸へ引揚げる。“開陽”にあって、幕府艦隊の指揮を執っていた榎本武揚は今後の指示を仰ごうと大坂城に向かっていたが、“さきさま”(前将軍)一行と行き違いとなり、置いて行かれてしまう…

会津家中は大変なことになってしまう…江戸への退却命令を受けたは良いが、会津侯も去ってしまったのだ…余りの事態に「戦闘を避けて会津の生き残りを…」と心を砕いていた神保修理が家中の怨嗟を受けてしまう…苦戦を強いられて撤退する様や、戦禍が迫ると混乱する大坂での必死の脱出などの状況が詳細に描かれる。会津家中は苦心して江戸へ引揚げるが、何か会津侯は騒乱の責任を一身に負わされるような状況になっていく…また神保修理は、混乱収拾のために詰め腹を切る羽目になってしまった…

そして主人公の兵馬である…兵馬の所属した隊は隊長以下多くの仲間を鳥羽伏見の戦いで失った…敗残の味方と合流し、紀州経由で江戸へ脱出することを目論む…合流した味方には、少年時代に剣術の手解きを受けた縁もあって“兄”と慕う佐々木只三郎も居たが、深手を負ってしまっており、紀州で落命してしまった…兵馬は遺髪を胸に江戸へ引揚げる。引揚げた江戸では、佐々木只三郎縁の知人から“抗戦運動”に誘われる…会津家中は城下を目指したが、兵馬は残務整理を名目に江戸に残った…

あの因縁の新蔵である…討幕陣営に身を投じていて、兵馬の僚友達に大坂で目撃されるのだが、未だ決着は…

ということで、読めば読む程に“次ぎ”が気になってしまう…

“次ぎ”も気になるが、この“第4巻”で気になった話しを少々…

↓先ず下記である…

慶喜は自分が命令して、正月三日というのに京へ大軍を進ませたことを忘れていた。おのれに都合の悪いことは忘れることが出来る。また、それを誰も追及しない。将軍にかぎらず、天下の権力の座というものは勝手なものだ。

これは江戸で彼が“謹慎恭順”を決め込もうとする中、会津家中が「江戸周辺で抗戦?」という機運になってきた場面で出て来る描写だ…作者の“熱い主張”の故に作中で糾弾されている“さきさま”(前将軍)こと慶喜である…これを読みながら率直に思った…「巷には“慶喜”が実に多く居るかもしれない」というようなことをである…

この“第4巻”は「実に小説らしい」感じがする…兵馬が兄と慕う重傷の只三郎と共に撤退する様が描かれ、江戸への道中では神保修理に出くわし、家中では極々少数意見である非戦論を奉じて事態打開に腐心する彼の姿に触れ、彼が最期を前に語る胸中に耳を傾けるという“大役”を演じる…そして彼は“第5巻”でもキーマンになることは確実であるような按配で“第4巻”は終わる…

何も耽溺しようというつもりなどないが…これは“第5巻”に早く手を伸ばさねばなるまい…


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2009年01月20日

会津士魂〈3〉鳥羽伏見の戦い 早乙女貢 (集英社文庫)

“第3巻”はここまでの2冊以上に、引き込まれてしまって、速く読み進む型となった。

“第3巻”は、後年「戊辰戦争」と呼ばれることになる“内戦”が発生する辺り…鳥羽伏見の戦いまでが描かれる。

何かここまでの2冊に関しては、「作者の地の文」が非常に目立つことが気になって、それを私なりの“読後感”の一部で論じたが、この“第3巻”に関しては「小説的表現」と感じられる箇所が非常に多い。故に引き込まれて速く読み進んだ面があるのだが…

兵馬である…“第3巻”の最初の1/4強は、約3年ぶりに彼が会津に帰り、短期滞在の後に再び京へ戻る話しで閉められている。例の新蔵から受けた傷で視力を失い、身体が弱ってしまった父を見舞い、大きな心の傷を負っている妹と再会する。酒の勢いで抱いたことから情事を重ねていた親戚筋でもある女との胸中複雑な再会もある。故郷の旧友達と馬術競技に興じたり、兵馬や旧友達の母校である藩校“日新館”の氷が張った水練場(会津の家中で武士の子弟教育が行われた藩校には「日本で初めて?」とも言われるプールがあったという…)で酒を酌み交わす場面もある。更に兵馬は、知人宅で知り合った娘に想いを抱くが、明日をも知れぬ我が身を慮ってそれを伝えずに去ってしまった…

そういう状況の後は“大政奉還”や孝明天皇の不審な崩御(作者は「岩倉卿が手を回し、病気になったどさくさに暗殺」と断じている…)、更に坂本竜馬の暗殺(作者は佐々木只三郎ら見廻組が踏み込んで手を掛けたと解説している…坂本の死が噂になる中での佐々木の言動を「小説的表現」で描写した辺りが非常に面白い…)と、「作者の地の文」が主体の記述が続くが…鳥羽伏見の戦いの場面では「小説的表現」で会津侯家中の指揮官や兵士が奮戦する様が描かれる部分が増え、読む速さが増した…

“大政奉還”でとりあえず将軍職を退いた徳川慶喜の京都入りと参内を巡り、討幕陣営と幕府寄り陣営が一触即発の様相で対峙する。会津家中の兵馬はボートでの偵察任務にあたっていたが、そこであの新蔵を見つけた。劇中用語で言う“不逞浪士”の群れに身を投じている新蔵は、討幕陣営に従軍しており、やはりボートで偵察任務にあたっていた。「あの男だけは斬る!」と熱くなる兵馬だったが…深追いも出来ず、ここでも逃してしまった…

鳥羽伏見の戦いに関して、作者の“観”が披瀝されているのだが、それがなかなか興味深い…

「他国の近代に於ける内戦の様相は思想の新旧の対立と相克である。だが、明治維新にあっては、両者とも、勤皇を号している。いずれが真の勤皇か知る者もまた少ない」

これには私も大賛成だ…戊辰戦争に関しては、何か「各陣営が互いに“悪者”のレッテルを貼り合うことを競った」と感じるからである…

この戊辰戦争の緒戦である鳥羽伏見の戦い…「武士対武士の手合わせ」という感覚の会津兵に対し、「とにかくも敵に打撃」という討幕陣営との感覚の大きな違いが露呈し、凄惨な戦いになってしまう…また「装備の違い」も顕著だ…更に作者は「地の文」で糾弾するのだが“裏切り”も相次ぎ、会津家中を筆頭とする幕府系の陣営は苦戦を強いられる…

とりあえず今後の各巻の副題を見ると、戊辰戦争の各局面がかなり仔細に描かれる様子だ…兵馬と新蔵の因縁も未だ決着していない…“第4巻”にも程なく手を伸ばすことになるであろう…


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2009年01月19日

会津士魂〈2〉京都騒乱 早乙女貢 (集英社文庫)

“第1巻”に出くわし、“超長編”であることに「敷居の高さ」を感じながらも手に取り、読了してしまったことから“続き”が気になり、取寄せて読み始めた“第2巻”である…

この“第2巻”では、京都守護職の会津侯が新撰組を“御預”ということで配下に加えるようになった辺りから始まり、8月18日政変、池田屋事件、蛤御門の変、第一次長州征伐という辺りまでと、これらの教科書にも出て来るような事件の間に発生した様々な出来事が取上げられている。この“第2巻”には「京都騒乱」という副題が添えられているのだが、正しく当時の京都はとてつもない騒乱状態であったことが分る…

この“第2巻”だが、“第1巻”以上に「作者の地の文」が目立つ。その「作者の地の文」の中では、様々な史料類の引用も非常に多い。何分にも江戸時代の武士や公卿が書き残したものの引用で、一部に“返り点”が入った「漢文調文語」なので、率直なところ少々読み辛い面も否めない…中学、高校で習った漢文を少々思い出しながら読み進むこととなったが、「“勝てば官軍”の明治維新や、我々の歴史は何か?!」というような作者の訴え、また今日にあっても尊敬の目線を向ける価値があるであろう「会津の武士達の生き様」を印象付けるためには、これも必要な措置であったのだろう。何か“小説”というよりも“史伝”の類や“論文”、“エッセイ”を読んでいる感もあった…この騒乱の場面に関しては、もう少し「小説的な表現」で触れてみたかった気もしないではない…

私が気になっていた“続き”…家中の価値観を尊び、職務に精励する若者である兵馬と、彼の父と妹を傷付けて出奔し、劇中の用語で言う“不逞浪士”の群れに身を置く“敵役”の新蔵がどうなるかということである。これに関しては、京で兵馬が知り合った娘が絡み、色々な展開もある。が「もう少し見せてよ…」という感も若干在った…新蔵は蛤御門の変の際、長州側に居た浪士グループに身を置いていたようだ。兵馬は敗走する長州側の掃討作戦に際してその姿を認めるのだが、直接には戦えなかった…また“続き”が気になってしまう…

無私無欲で、文字どおりに心身を擦り減らすように―体調を崩していて、衰弱していた中でも御所に参内し、配下の将兵の総司令官としての職務を全うしようとする描写が出て来る…―して京都守護職の役目に精励した、余りに純粋だった会津侯に対し、長州、薩摩、幕府は余りに狡猾であったり小心であり、京都の騒乱はそういう他の勢力に会津が翻弄されてしまう導火線になっていた…というのが“第2巻”の主旨であろうか…

この“第2巻”で目立つ「作者の地の文」の中、蛤御門の変の後にある第一次長州征伐を巡る会津侯と幕府との関係や、両者間のやり取りを描いた箇所にある下記が妙に記憶に残った…

「真理を説く者はいつの世でも左右から容れられない。中道を行く者には、右翼も左翼も、おのれの汚い心中を見透かされる怖れがあるからだ」

「人間の大多数が欲望を制御出来ない存在である以上、無私の清潔さは爪弾きされる」

これは蛤御門の変を受けて、長州征伐の勅命も出たという機会を捉え、「禍根を断つべく果敢で迅速な行動」を訴える会津侯に対し、幕府等の反応が鈍く、第一次長州征伐が巧く行かなかったという辺りで出て来る文である。

何か「会津侯唯一人が正しく、他は寄って集って何かおかしかった」というような「筆者の“熱過ぎる”主張」という感じもしないではない文である。が、私は何か“引っ掛かり”を感じた。何も幕末の諸藩が天下国家をどうこうしようとしていたような大掛かりな話しでもない、現代の私達の極々身近な所で「中道が容れられない」とか「無私の清潔さは爪弾き」というようなことは意外に多いような気がしてならないのだ。

幕末の動乱は、或いは「各陣営が“悪者”のレッテルを貼り付けることを競った」という感もある。“第2巻”では、騒乱の収拾に心を砕き、役目に精励する会津侯と家中は天皇の信認という大変な名誉を得る。が、やがて過酷な運命が待っている…それが描かれる“第3巻”以降にも注目せねばなるまい…


早乙女 貢
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会津士魂〈1〉会津藩 京へ 早乙女貢 (集英社文庫)

文庫本で“上・下”の2冊程度という小説は珍しくないが、“全13冊”という“大河小説”と呼ばれる“超長編”は珍しい。「そんなに長い?!」と手にして読む気力が殺がれる場合さえありそうだ…更に、似たような大部の“続編”まで在り、作者が約30年に亘って書き続けた作品ということになると、何か恐ろしげな感さえ抱いてしまう…「敷居が高い」という作品かもしれない…

「本との出会い」というものは“偶然”を装いながらも、ある程度は出会う人の中で“必然性”があるのかもしれないが、この恐ろしげな印象さえ与え、「敷居が非常に高い?」と感じられる超大作の第1巻にとにかくも出くわしてしまった…

本作は、会津侯が“京都守護職”という役目を幕府から命じられて請け負うことになる辺りから説き起こされる大河ドラマである。第1巻はこの“京都守護職”を受ける、受けないで家中の意見が分かれ、寧ろ「断った方が…」という情勢になりながらも受けることになってしまった辺りが綴られ、新撰組が登場する切っ掛けとなった浪士組が江戸・京都を往復し、この浪士組の仕掛け人であった清河八郎が江戸で斬られるという辺りまでを扱っている。

本作には会津の家中の人々、縁の人達、同時代の様々な人々が登場する。実在人物なのか、想像上の劇中人物なのか判然としないが、何か“主人公”的な立ち位置に、京都守護職の役目のために京都に入る会津の若き侍、鮎川兵馬が居る。劇中に登場する多彩な人達の目線で“激動の時代”が綴られているが、要所要所はこの「兵馬の動き」でつなげられている。

“小説”は通常、「劇中人物達の何れかの“目線”で、作中の出来事、時代、劇中人物達の想いなどが語られる」体裁が積み重ねられるものであると思う。が、本作は「誰の“目線”か判然としないもの」が何となく目立つ。“神様目線”とでも言うような、「作者自身の地の文」というようなものである。

本作の「作者自身の地の文」だが、強い調子で読み手に訴えかけるような口調を感じる。そうした部分だが、戊辰戦争で最終的に会津に“汚名”を着せた側への“かなり強い非難”と言ってしまって差し支えない“批判的言辞”が殆どを占めている。これに関しては、「教科書等で伝えられている“明治維新”以降の歴史とは一体何なのだ?!」という嘆き、抗議というように感じた。更に「日本の人達にとっての、所謂“近現代”とは何だったのか、足下をもう一度じっくり見て考えてみるべきではないか?!」という痛切な訴えのようにも思える。そしてその“訴え”は、私自身にはやや響く…

「会津に関心…」という中で本屋を覗くから、何やら最近流行っているのか、店主の好みなのか、色々な時代物の小説が収録された文庫本が平積みされていた中でこの本を見付けてしまった…“関心”は「200年前に会津の武士が稚内にまでやって来て、樺太にまで足跡を残したらしいが、どんな所から来たのか?有名なお城も見てみたいし…」というような思い付きが切っ掛けで沸き起こったものだった。その関心が私を旅へと誘い、「触れたものを少し深く学びたい」という気を起こさせ、結果的に色々と関連書を読む羽目になっている。ここまでに至った理由の一端について、本書に触れることで気付いた気がする…

非常に俗な表現になるかもしれないが…私には、会津侯や家中の人々が「思いきり“馬鹿”を見る羽目になった“正直者”」のような気がしてならない。彼らは、当時の常識と言うのか、倫理観と言うのか、そうしたものに照らして決しておかしい訳ではない、寧ろ妥当性が高いと思われる価値観で一貫して行動しようとした人達だった…周囲に迫られて大変に困難な役目を引き受け、懸命に取り組み、その努力が認めれれて名誉さえも得る場面もあった。が、「相手に“賊”のレッテルを貼り合う」という当時発生した幕府側と反幕府側との競り合いの中で、一番最後に一番大きな“レッテル”を貼られる羽目になってしまったという訳である。ノンフィクションである史伝や、フィクションである小説、或いはそれらの中間のような入門書というようなものを通じて我々は“歴史”に触れる訳だが、“歴史”はこうした、例えば「思いきり“馬鹿”を見る羽目になった“正直者”」というような人間の類型を示してくれる…

「思いきり“馬鹿”を見る羽目になった“正直者”」という“類型”だが、或いは私達が生きているこの時代には、存外に多いような気がしないでもない。或いはそうした想いの故に私自身は「会津に捕えられてしまった」のかもしれない…

本作の主人公的立ち位置に居る兵馬である。「武士の矜持を大切に」というような会津の家中での価値観を尊んでいて、真面目に仕事をしようとする。彼は色々な意味で発展途上の健全な若者である。この兵馬の対極に、彼の父と妹を傷付けて脱藩してしまい、時勢に乗って要領良く世の中を渡ろうとする三田村新蔵という“敵役”が居る。或いはこの新蔵は、その“目線”である種の“反語”として「作者の訴え」を劇中で語るポジションかもしれないが…

兵馬と新蔵の両者が、激動の時代の中でどういう運命を辿るのか?何か「続き」が非常に気になり始めている…第1巻を読了したことにより、「高かった敷居」は既にかなり低くなった…


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新カテゴリ…『会津士魂』を読む…

本来、読書の感想に関しては『朝の読書…』という別ブログに綴っていたが…1月19日にそちらが不意に不具合を来たした…

↓見る分には正常に見られたが、巧く投降が出来なかった…
http://wakkanai097.blog.eonet.jp/blog/

従って、こちらに最近凝っている『会津士魂』のシリーズに関する記事を収めるカテゴリを特設した…

“第1巻”に関しては重複してしまうが、敢えてこのカテゴリに記事を入れておく。“第2巻”以降は初出ということになる…
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